「・・・この話は、真か?ならば何故、新見はわしに別れの挨拶にも来んのか」
「世話になった芹沢局長に、恥を知った身で顔を合わせるわけにはいかぬと言って去られた」
「そのような話、信じられるか!!」
芹沢の一喝に、部屋の隅で縮こまって食事をしていた藤兵衛が、小さく声を漏らして飛び上がった。
「さては主ら、鄭志剛 謀ったな!?新見はそんな殊勝な男でないわ!追放なんぞにも応じるわけがない、今頃どこぞに捕らえられているのではないのか!?」
「そのような事、」
近藤が、諫めるように芹沢を見据えた。
「有り得ませぬ」
「芹沢局長」
つと、今まで黙っていた土方が、
戸に立ったままに、口を開いた。
「貴方の仰りようは、いかにも我々が会津公と示し合わせ、新見元局長を陥れたというふうに聞こえる。お言葉を慎まれたほうがよろしい」
「・・・貴様」
「そもそも、新見元局長は、腹を召されてもおかしくなかったのですぞ」
土方が、その秀麗な眉ひとつ動かさず。
言葉に詰まった芹沢を冷えびえと見下ろした。
「それでも我々を中傷なさるおつもりなら、芹沢局長といえど、捨ておけませんな」
───刹那。
ガタンッと膳が乱暴に退かされる音とともに、 芹沢の周りで殺気立っていた芹沢一派の隊士達が、中腰の態勢で大刀を引き寄せ。
それを受けて近藤の左右で、山南と沖田が、そして藤堂達が、片膝を立て同じく大刀を引き寄せ、
場は一触即発となった。
「芹沢局長、」
悠然と懐手でありながら、隙の全く無い近藤の。低く制するその声音が、殺気の満ちた空間に響いた。
「我々は、謀ってなどおりません。隊の誰にとっても、新見殿が脱退されたことは重大な損失であり痛恨の極みです。ましてや、昵懇であらせられた芹沢局長の御心中、如何ばかりか測り知れません」
近藤の目をじっと睨んでいた芹沢は。
ふっと息をついた。
右腕であった新見を失い、今夜で芹沢派閥の勢力は大きく傾いた。その上、ここで闘争を起こせば、もし本当に守護職からの下知であった場合には取り返しのつかないことになる。
納め時だと悟ったのだろう。
「御前達、静まれよ」
己の周囲で柄に手を添え構えていた、残る腹心達へと。そして芹沢は声をかけた。
忌々しげに、彼らは座り直して大刀を置き。
山南達も態勢を解いて、土方は空いていた席へと向かい座った。
「・・・」
(さっきの土方様の)
挑発にも近い台詞は、わざとなのではないか。
冬乃は、涼しい顔で食事を始める土方と、 もはや無言で酒を手酌しだす芹沢とを交互に見やった。
新見を失った芹沢の怒りを行き場の無いままにせず、一度爆発させ、
それを近藤に鎮めさせた。
(なんでだろ。そんな気がしてならないんだけど)
あの場での、近藤の重厚な態度は当然、ここに居た隊士達の目に際立って見えたことだろう。
その効果を土方が十分に狙っていたとしたら。
(・・土方様、お見事です)
収まった場に少しずつ安堵が広がった様子で、息をひそめていた隊士達がまた歓談へと徐々に戻ってゆく。
(新見様も、本当に追放なら、これで切腹しなくて済むのかな?)
冬乃は、ふと思い巡らせた。
史実として伝えられているのは、九月十三日に新見が切腹して亡くなることである。
(でも、伝わっていた記録のほうが間違えていたのなら)
どうせなら、間違えであってほしい
冬乃はそんなふうに願っていた。
人が亡くならないで済むのなら、それがいい。
(・・だけど、・・)
後世に残っている話では。
すでに近藤達には、守護職から、もうひとつの下知が下されているはずだった。
芹沢も始末せよ、との。
(だから。今は考えちゃだめだ)
何度目になるかわからないその言葉を。
冬乃は己に言い聞かせる。
歓談の波が大きくなる頃。
そして冬乃は、五人へ白米と味噌汁を装うため、そっと席を立った。
冬乃は溜息をついた。
波乱の夕餉も無事お開きとなり、厨房で片付けを終えた後、茂吉と明朝のしたくについて意識合わせをしてから外へと出たところで、
昼間に顔を合わせたばかりの山野が、立っていたからだ。
そういえば夕餉の席でも一瞬見かけたようなおぼえがあるが、それどころじゃなかったので挨拶も交わしていない。
(ていうか何故ここに)
「・・今夜はあけません、とお伝えしたはずですが」
顔を見るなり言い放った状態の冬乃に、
山野がにやりと笑った。
「ちげえよ。それについては追々。今は、ちょいとサラシをわけてほしいの」
「サラシ?」
追々とはどういうことだと訝りながらも、サラシと言われて冬乃は、気になって聞き返していた。