そして。屈辱的開国の責任者である幕府および徳川を糾弾し、幕府の天皇への恭順と、即時の攘夷実行を望む、長州派志士達の“過激尊王攘夷論”に対して、
今上天皇である孝明帝が望むように、あくまで徳川主導の施政の元、攘夷を決行すべしとする、“公武合体尊王攘夷論”での政治思想を近藤達は掲げていた。
だが。
この先、近藤の本懐の完遂する日は。来ないのだ。
(どうしよう・・・ばか私)
有名だなんて、產前課程 安易に言ったばかりに。
「その、・・はい。私の知っているかぎりにおいては・・・」
冬乃の肯定を示唆する返事に。沖田が、ふっと笑みを浮かべた。
胸内に刺しこんだ、嘘吐きへの罪悪感に。冬乃は声を詰まらせ。
(ごめんなさい沖田様)
「冬乃さん」
だが、そんな冬乃から、何を感じたのか沖田が囁くように言葉を追わせてきた。
「有難う。その返事を聞けてよかった」
(え・・・)
有難う?
どういう意味
沖田をまっすぐ見つめ返してしまった冬乃に、だが沖田はそれ以上なにも言わず踵を返した。
(・・・て、私が未来からきたって、信じてみようとしてくれてるだけで、ほんとに信じてもらえてるわけじゃないものね・・)
単に、冬乃がどういう対応で返すかを試されただけなのかもしれない。
冬乃はそう納得し。
何にせよ。
(言動には、もっと気をつけないと)
冬乃は反省を胸に、沖田の後を追った。
「あの、」
前川邸の裏戸をくぐった時、冬乃はふと思い出して。
「沖田様はどちらでいつもお寝みになられてるのですか」
沖田が振り返る。
「八木さん家ですよ」
(やっぱり)
「離れ・・ですよね?」
何故知っているのか
とは沖田は尋ねてはこなかった。
「そうです」
「広いのですか・・?」
冬乃は気になっていたことを聞いた。
沖田が微笑って。
「いいや、狭いですよ。何故」
と今度は尋ねた。
「屯所のほうがかなり手狭なかんじだったので・・沖田様はもう少し広いところできちんと休めてらっしゃるのかが心配になって」
冬乃は言いながら、これではまたも好きオーラが出てしまっているような台詞だと、気づいたが、遅い。
沖田は、だが気に留めたふうもなく、
「じゃあ見てみますか」
とおもわず冬乃が瞠目するような言葉を返してきた。
「そこで挨拶を済ませてしまいましょう。皆、朝が早いからそろそろ起き出してる頃だ」
「はい・・!」
期せずして、沖田の寝泊まりしている場所を案内してもらえることになった冬乃が、嬉々とした声を挙げてしまったのは仕方がない。 冬乃の寝泊まりしている長い母屋を通り越して、沖田はそれから会話をするでもなく、まっすぐ離れの建物へと冬乃を連れて向かう。
(結構、離れてるんだ・・)
八木家の敷地の広大さに、今更ながら驚かされる想いで、冬乃は朝の眩い光の中を沖田についてゆく。
やがて離れとおぼしき建物の、角を曲がった時。
男が、縁側で正座をしているのを見とめ。
その横顔に、冬乃ははっとした。
涼やかな顔立ちの、その凛とした佇まいは、
高雅な、とさえ形容しえるほどに。
彼を纏う清涼な空間だけが、切りとられたかのように、そこに在った。
「斎藤、帰ってたのか」
冬乃の前で沖田が、表情を見なくともわかるほどに嬉しそうな声をかけて、
冬乃は、その呼びかけから彼が斎藤一であることを知った。
(あの方が)
そして、次の瞬間に、沖田の呼びかけに振り向いた彼の、灯した表情に冬乃はどきりとした。
「沖田か」
よく笑う沖田と対照的で、殆ど笑わない寡黙な剣士として、後世に伝わっている彼が、
今、沖田に対して穏やかに微笑を返したのだ。
「おかえり」
「ああ」
「紹介するよ。彼女は冬乃さん」
「話は聞いている。災難だったようだな」
と、彼の静かな眼差しが、沖田の横まで来た冬乃を向いた。
「いえ、そんな。・・これからよろしくお願いいたします」 「ところで斎藤、疲れてるか?」
話の様子からすると、どこかへ長期の仕事に出ていたのだろうか。
「いや。大丈夫だ」
だが斎藤はなんでもなさそうに返答した。
「そうか。それなら、あとで手合わせ願うよ」
「ああ」
快諾する斎藤に、沖田が微笑った。
「おまえがいないと、なまる」
稽古が。
と言い足した。
冬乃は、あのとき蔵で藤堂にみせたような笑顔と同種の表情を沖田に見とめて。
(そっか・・・)
二人は親友なのだと。
斎藤の、先の沖田へ向けた表情も、親友に対してだからこその。
(それに、お二人は)
好敵手でもあり。
斎藤は沖田と並び、新選組の双璧として後に評される剣豪である。
沖田が気兼ねなく本気を出して稽古ができる唯一の相手、なのではなかろうか。
「で、何故こんなところに座ってんだ?」
と沖田が続いて尋ねたのは尤もだった。
斎藤は今、縁側の板張りにそのまま正座しているのだから。
(脚、痛くないかな・・?)
おもわず心配になる冬乃をよそに、
「朝の空気を吸っていた」
と斎藤がぽつりと返事をして。
「そうか」
と沖田が愉快そうに哂った時、
斎藤の背後の障子が、すらりと開かれた。
「お、斎藤!おまえも帰ってたのか」