で、けれども自身の筆跡で"未来へ帰る"と書かれていた。
「未来へ、帰る……?どういう事……」
一年の時を経て、もはや未来から来た事実はすっかり忘却の彼方となっている。この時代の住人になりつつあった。
額に手を当てて記憶を遡ると、肉毒桿菌 辛うじて藤に助けられたことまでは思い出せる。そして家を出る際に風呂敷を渡されたことも。
「風呂敷……」
桜司郎は弾かれたように立ち上がると、自身の数少ない荷物を漁る。薄らと埃が積もる風呂敷を開け、そこにある物を目の前に取り出した。
それは未来から来た時に着ていた洋服である。所々 れているが、藤が修繕したためにどうにか着れそうではあった。
だが、それを見ても懐かしさの欠片も、感慨の一つも浮かんでは来ない。それどころか、まるで自分の物ではない物を扱っているような気分になった。
桜司郎は立ち上がると、に今着ている着物と袴を脱ぐ。そして洋服に袖を通した。
着方についてはどうやら身体が覚えており、難渋することは無かった。
白いシャツに七分丈のデニムは、もはや桜司郎の身体には馴染まなかった。洋服の方が十何年も着ているというのに、どうもそわそわとして落ち着かない。
「駄目だ……思い出せない」
桜司郎は早々にそれを脱ぐと、裸のまま自身を抱き締め、そのまま座り込んだ。
自分の心を何処かに取り残したまま、時に流されているような不安に襲われたのである。抗うことすら忘れているうちに、違う何かに作り変えられていくような気がした。
まるで半身が暗闇の中に閉じ込められている、そのような心地だった。
「おーい、桜司郎。まだかー」
そこへ山野の声が聞こえ、桜司郎はハッと立ち上がる。急いで着物に袖を通し始めた。
「も、もう少し待ってて!」
失われた記憶の鱗片となりそうな洋服や簪は持っていくことにし、二重に風呂敷へ包み直す。
そして友の待つ一階へ降りて行った。一方。隊士達が引越しのためにバタバタと行き交う中、沖田は一人廊下を歩いていた。
その背後から馬越がおずおずと口を開く。
「あ、あの……沖田先生ッ。今度は同じ部屋だとお聞きしました……。よ、よろしくお願いします」
「あ……。ええ、よろしくお願いしますね。馬越君」
「で、では!失礼しますッ」
馬越は素早く一礼すると、忙しなく去って行った。どうやら山野を待たせているところ、沖田を見付けたらしい。
あの青年も随分と明るくなったものだ、と沖田は笑みを零すと再び歩き出した。
まだ風は幾許か冷たいが、日差しは柔らかく暖かい。それに目を細めつつ、ある部屋の前に立ち止まった。
「……入りますね、山南さん」
そう声を掛け障子を開けると、主を失った部屋にそっと踏み入れる。
そこは綺麗に片付けられたまま、あの日から変わっていなかった。山南の書き置きを見付けた土方が顔を青くして自分を呼びに来た日から、何一つも。
沖田は山南が愛用していた文机の前に屈むと、寂しそうに瞳を伏せた。
調度品はあの日のままだというのに、毎日のように使われていた文机は薄らと埃が積もっている。
それが妙に物悲しくさせた。
沖田は自身の袖で軽くそれを払う。
「……今日、此処を出て西本願寺へ屯所を移ることになりました。山南さんは嫌がりそうですけどね。他にね、受け入れてくれる所が無いんですって」
口元に小さく笑みを浮かべながら言うが、無論返事をしてくれる人物はいない。それでも沖田は言葉を続けた。