においては容赦はいたしませぬ。それから、わたしの本業は暗殺です。命じられれば、いかなる獲物でも確実に殺るだけの腕がございます。会わぬ方が、おたがいのためでしょう」
これは俊春である。副長の命があれば、海江田を殺ることなどたやすい。それどころか、どんな人物だって殺れる。
それが大言壮語ではないことを、海江田は自分の身をもってしっている。
その海江田のに、生髮洗頭水 また苦笑が浮かんだ。
おれたちは、握手をかわしてから別れた。
史実どおりゆけば、海江田と直接戦うことはない。
どちらにとっても幸運であろう。
こうしてしばしの間でもすごしたのである。生死をかけ、死力を尽くして殺し合うなんてこと、したくはない。
きっと、海江田もおなじ想いにちがいない。
さすがに、副長もつかれているようである。
かえりはだれもなにもいわず、沈黙する通りをただひたすらあるいた。
副長だけではない。相棒も、おれへの不満をいいつかれたらしい。俊春も口を開かず、うしろをひっそりとついてきている。
副長をまんなかにはさみ、半次郎ちゃんと三人で並んであるいている。
あの運命の雨の日の夜のことをかんがえると、すごいショットである。
襲撃者と被害者、そこに闖入者、もといかっこよく助けに入った英雄という構図なのだから。
「よく誘いにのったもんだな、半次郎ちゃん。西郷さんを残して、不安じゃないのか?」
あともうすこしで蔵屋敷というところで、副長が心地よい静けさを破った。
そう。だれもなにもしゃべらずに沈黙がつづいていたが、それはけっして重苦しいものでも違和感のあるものでもなかった。
かえって居心地がいい。そういう類の静けさである。
「新八の腕なら、警備兵などあっという間だ」
半次郎ちゃんがだまっているので、副長がつづける。
「たしかに腕はそうやろう。じゃっどん、あん男はそげんこっはしもはん。おいどんとはちがって、まっすぐな男じゃ。いや、まっすぐすぎる。なにより、約定した。あん男は、自分げったことをたげるような真似はぜってにしもはん。そうじゃなかと?」
半次郎ちゃんはしばし思案していたようだが、穏やかな口調で述べた。
強き者は強き者をしる、というわけだ。
かれは、じつによく永倉の本質を見抜いている。ってか、永倉がそれだけ単純なのかもしれない。
「一本取られたな。そのとおりだ。新八は、まっすぐすぎる。だが、おれにとっては、それがいい手本になっている」
意外である。副長が永倉をまっすぐのお手本にしているなんて。
なら、なにゆえ見習わぬのか?
って、また副長ににらまれた。
「ならば、おぬし自身は?主計は兎も角、ぽちの腕はわかっているだろう?」
意外である。おれしか引き合いにださなかったということは、副長は自分自身は半次郎ちゃんと剣の実力はどっこいどっこいと思っているんだ。
それは、致命的なまでに勘違いすぎるのではなかろうか。 って、また副長ににらまれた。プラス、思いっきり肘鉄を喰らわされた。
「たしかに、腕はそうやろう。じゃっどん、ぽちはそげんこっはしもはん。ないごてなら、あたがそいをよしとせんでじゃ、土方どん。あたが命じんかぎり、ぽちがおいどんに指一本ふるっことはぜってにあいもはん」
「まいったな。また一本取られた」
副長は、苦笑しまくっている。
副長が命じぬかぎり、「狂い犬」はけっして半次郎ちゃんに害をなすことはない。そして、副長自身がそれをよしとしない。
半次郎ちゃんは、ただの凄腕の人斬りってだけではないんだ。
の本質を見抜き、その洞察力はパネェッてことだ。
だからこそ、西郷に最期まで信頼されて側につき従えるわけだ。
もっとも、負けず嫌いの副長は、勝負にかんしてはなりふりかまわずチートさを発揮してくれるが。
そのとき、副長がアイコンタクトを送ってきた。同時にあゆみがとまった。イケメンをわずかに背後へと向ける。
またにらまれるかとあせったが、ちがうらしい。
どうやら、おれと俊春に意見を求めるのか、あるいは同意をしてもらいたいのか、そういう素振りである。
その副長のアイコンタクトのもつ意味は、かんがえるまでもない。
なぜなら、おれ自身もおなじ想いであるからだ。おそらく、俊春も同様であろう。
ゆえに、ソッコーでうなずいた。もちろん、俊春もうなずいている。ついでに相棒もうなずいている。
「半次郎ちゃん。これは、おれたちの荒唐無稽な世迷言と思ってきいてくれ」
副長は、俊春とおれのうなずきにうなずきを返してきた。それから、おなじように立ちどまっている半次郎ちゃんへと体ごと向き直ると、そうきりだした。
マイ懐中時計では、もう間もなく丑三つ時にさしかかろうとしている。
この時間帯は、現代でも住宅街だと夜更かしさんや勉強をしている学校ゆきをのぞいて、照明が灯っているのはちらほらであろう。ましてやこの時代、こんな時間まで起きているとかウロウロしているのは、泥棒などの悪人か刺客くらいであろう。
もしもいま、なにかにゆきあうとすれば、それは生きている
俊春にソッコーうつる。
なにゆえ、それを発した本人に問わぬのか?
注目を浴び、俊春は気恥ずかしそうに廊下の板敷きにを落とし、さらに気恥ずかしそうに口をひらいた。
「通じがよくなる、と」
ナイス、俊春。さすがである。植髮過程 めっちゃ遠回しの表現に、内心で快哉を叫んでしまった。が、それはかなりちいさかった。かれにもっともちかくにいる永倉とおれ、それから海江田にしかきこえなかったのではなかろうか。
「なーんだ、くそをひるってことか」
「くそをひりまっるてことじゃなあ」
その二人の身もふたもない要約がジワる。
一瞬、沈黙がおりた。同時に、霊が通ったのか、ラップ音が響いた。ドキッとしてしまう。
「馬鹿なことをいわせるんじゃねぇよ、主計っ!」
そして、副長に理不尽にも叱られてしまうおれであった。
干し芋も堪能し、そろそろ海江田がかえるという。そういえば、かれは一人でやってきたという。
びっくりである。さすがに西郷も、それは危ないから、と苦言を呈した。けっこう、自分も護衛がすくないのにである。それは兎も角、その西郷の心配を、海江田は笑って応じた。
「軍議んこっを思いだすとち腹立たしゅうなっ。そうなっと、ちかっにおっ者にあたってしまうかもしれもはん。そんた、おいどんが刺客に襲わるっことよりも赦せんこっじゃ。じゃっで、おいどんな一人の方がよかとじゃ。じゃっどん、どうやらおいどんな自分の腕を過信しすぎちょったようじゃ。これからは、注意すっことにすっ」
体育会系気質のわりには、部下には気をつかっているんだ。
かれの意外な一面である。
「そいやったら、おいどんが送りもんそ」
半次郎ちゃんが申しでた。が、後輩には頼りたくないらしい。
「おいどんな、に護らるっほど弱うはなか」
ソッコー一蹴してしまった。
「それでしたら、わたしがまいりましょう」
つぎに申しでたのは、俊春である。
「だったら、おれもゆこう」
「えっ?土方さんが?」
「えっ?副長が?」
「ええっ?副長がですか?」
意外すぎる副長の立候補に、永倉と島田とおれの不信感もあらわな問いがかぶった。「ちょっとまちやがれ。なにゆえ、おれがゆこうといったらかような反応をする?」
副長は、気分を害したようである。
が、副長の意図はすぐによめた。厳密には、副長ならそうするだろうなと気がついた。
俊春がみずから申しでたこととはいえ、海江田と二人きりにしたくはないのである。
「副長、おれがいきますよ。いえ、相棒とおれとでいきます」
いいながら熱きを感じたので庭をみると、相棒がじとーっとにらんでいる。ゆえに、自然な感じで『相棒とおれとで』といいなおしてみた。
「ふう・・・・・・ん。相棒ね・・・・・・」
「ちょっ・・・・・・。永倉先生、いまのはどういう意味なんです?」
「いや、べつに他意はない」
ぜったいに、ぜったいになんかあるはずだ。
「兼定は兎も角、主計か・・・・・・」
「って、副長までなにをおっしゃるんです」
まさか、副長にまでダメだしをされるとは……。
心外をとおりこし、正直、不快である。
刹那、またにらまれてしまった。
おれの心の声は、どれだけだだもれしているんだ?
「やはり、おれがゆこう。兼定はぽちについてゆきたがるであろう。半次郎ちゃんもどうだ?主計は・・・・・・。まぁ一人くらい足手まといがいても、おれたちで十二分に補えるか」
これは、モラハラか?それとも、たんなるいじめか?
『副長にだけはいわれたくないですねっ!』
いかなるハラスメントやいじめに屈してなるものか。ゆえに、声を大にしていってみた。もちろん、心の奥底のそのまた奥底で、である。
なのにまた、副長にめっちゃにらまれた。
「ならば、おれがゆこう」
永倉も副長の意図に気がついたようだ。
「いや、新八。せっかく酒をふるまってくれているんだ。いやってほど呑ませてもらえ。つぎはいつ、かような太っ腹な饗応にめぐりあうやもしれぬからな」
このあとはそれぞれ仲間のもとへ戻り、以降は戦いに身を投じることになる。饗応以前に、ゆっくり酒を酌み交わすなんてこともそうそうないであろう。
永倉に『呑んでいろ』とすすめたのは、副長なりの思いやりにちがいない。おそらく、だけれども。
「わかったよ。半次郎ちゃん、あんたが戻ってくるまでひかえめに呑んでいるからな。案ずるな。その間、なにがおころうと西郷先生はかならずや護り抜く」
永倉が杯をかかげて半次郎ちゃんにいうと、半次郎ちゃんは無言でうなずいた。
いまの永倉の約束は、フツーなら心強くて安心して任せられるものである。
あくまでもフツーの状況なら・・・・・・。
いま、西郷になにかあるとすれば、彰義隊など幕府側の攻撃なり刺客に襲われるという確率が高い。
たとえ連合軍のなかで、西郷を始末しようという者がいても、いまはまだ決行するには時期が悪すぎる。それこそ、暗殺して幕府側の刺客の仕業という
もちろん、新撰組としての活動がとまっているわけではない。日々の鍛錬や周囲の警備、今戸や江戸市中への出張等、副長の指示の下、おこなっている。その副長みずから、双子とともに、あるいは、双子が渡りをつけたうえで、様々な人や組織を訪れては話をしている。にとって、これが充電期間というのなら、それはそれでいい。だが、刻一刻と流山への移転がちかづいている。すなわち、局長の死が近づいていると思うと、どうにも落ち着かないし、心安らかではない。
「立派な犬ですね。誠に、狼みたいだ」
以前、原田の奥方のまささんからいただいた櫛で、相棒の毛をすいてやっていると、金子がやってきた。掌に、文らしきものを握っている。
「兼定です。狼みたいだ、肺癌症狀背痛 というよりかは狼に間違われることのほうがおおいのですが、よく犬だとわかりましたね」
笑いつつ立ち上がる。相棒は、お座りしたまま金子をみあげる。
「さわってもよろしいですか」
もちろん、とうなずくと、金子は両膝をおって相棒をこわごわ撫でる。
「子どもたちが、教えてくれたのです」
「ああ、それで・・・。金子さん、こんな大変な状況のなか、ご迷惑ですよね?」
心にわだかまっていることを、素直に言葉にだしてみる。金子やこの村の人々にとって、は、迷惑以外のなにものでもない。十二分に理解している。それでも、それについて言葉にだして問わずにはいられないのである。
金子は相棒の頭を撫でる掌をとめ、おれをみあげる。
かれは、代々名主をつとめる家柄ながら、着ている着物はさほど高価でもあたらしいものでもない。ごくフツーに、あるものを着回しているのであろう。
村は、時代劇にでてくるような「お代官様、年貢をまってくだされ」とか、「飢饉で口減らしを」とか、大変な空気は感じられない。そこそこの水準を満たしているようにうかがえる。
金子家の家人も、華美な恰好とは縁遠いところをみると、質素倹約を旨としているのかもしれない。
「迷惑などと・・・。正直なところ、迷惑より、これからどうなってしまうのかという不安のほうがおおきゅうございます」
そしてまた、相棒を撫でる。
「そうですよね」
おおきくうなずいて共感する。
「ここでお世話になるのも、そうながいことではありません。われわれも、いつまでもこちらでうろうろするわけにもまいりませんので」
「ほかのおおくの幕府の方々のように、戦いにゆかれるのでしょうか?」
かれの問いは、額面通りにうけとるわけにはいかないだろう。
そのまんまの問いならば、答えは「イエス」の一言でおわる。
かれは、なんのために?だれのために戦いつづけるのか、を含みをもたせてきいているのである。
「むずかしいですよね。もう戦っても仕方がありません。戦うべき理由も、護るべき人もいないのです。そして、結果はわかっています。負け、という結果が。しかも、戦うこと自体が朝廷に対しての反逆です。そこまでして、が戦うのは・・・。じつは、おれ自身もわからないのです」
かれのをみ、苦笑する。
「もちろん、ほかのおおくの人たちには、なんらかの理由や事情があるんでしょう。いずれにしても、戦があることで、苦しい思いをされるのは、あなたがたです。こんなふうにして、お世話になったり、今後は、戦地になってあらゆるものが焼けたり傷ついたりし、うしなわれるかもしれません。そして、われわれを受け入れたということで、敵から詮議されるかもしれません」
金子は、おれのとりとめのないつぶやきを真摯にきいてくれている。を相棒に戻し、頭を撫でたり、顎の下をかいたりする。
相棒は、気持ちよさそうにを細めている。
「わたしたちは、それでも幕府に御恩がございます。これまで、こうしてつつがなく生活できているのは、将軍様のおかげでございます。飢饉やら火事やらがあったとしても、何代にもわたり、護っていただきました。それを、どなた様方の事情で、おおきくかえられようとしています。われわれの事情や気持ちとは関係なく。それがいいのかわるいのかはわかりませぬ。はたして、これまでのままでよかったのではないのか?あたらしきことが必要なのか?わたしたちには、わからぬことでございます」
金子は、ゆっくり立ち上がる。
そのタイミングで、金子家の小者がこちらへ駆けてきた。
が喪われることが悲しいのです。この日の本にとっても、その損失ははかりしれぬことではないのでしょうか」
「おっしゃるとおりです。金子さん、話せてよかった。力仕事くらいしかできませんが、なにかあったら、いつでもおっしゃってください」
一礼し、小者とともに去ろうとする金子に声をかける。
「ありがとうございます。すでに、さまざまにお手伝いいただき、村の者もよろこんでおります。ああ、そうそう。その村の者が、自家製の沢庵を届けてくれました。隊士の方から、兼定の大好物だときいたと」
「え?よかったな、相棒。じつは、土方、いえ、内藤も大好物でして。一応、
松原は痛む腹を抱えながら起き上がると、頭を下げた。それを興味無さそうに見やると、武田は口角を上げる。
「謝罪で済むなら、法度は不要だな。……お前の不義に鈴木桜司郎君も関わっているのだろう?」
その問い掛けに松原は目を細めた。子宮環 平隊士となっても、手負いとなっても今弁慶と謳われた気迫は健在である。ビリビリとした空気を感じ、忌々しげに武田は舌打ちをした。
「……鈴さんは関係あらへん!」
「ありません、だろうッ!?目上の者に対する言葉遣いが、まるでなっていないな」
武田は立ち上がると、足で松原の側頭部を蹴る。ぐ、と横に転がるが直ぐに起き上がった。
「これは私闘ではなく、上司からの躾だ。有難く思えよ」
「まさか、此度のことは武田はんが……」
松原は鋭い眼光で武田を睨みつける。心外だと言わんばかりに鼻で笑うと、武田は んだ。
「だったらどうする……?お前は幹部だったから、降格程度で済まされたんだ。だが、鈴木君はどうだろう?あれはただの隊士だ。謹慎では済まないだろうなぁ……。可哀想に、お前と仲良くしたばかりに」
「この……ッ。あんた、鈴さんのことを気に入っとったやんけ!」
そう言いながら松原は目を剥き、武田の襟元を掴みあげる。
「ああ、もうアレは良い。私の誘いを断っておきながら、沖田君の になっているようだ。人を見る目が無い男はどうでも良い」
それよりも、と武田は言葉を続けた。
「馬越君が欲しいんだ……。その為には、山野と鈴木が邪魔なのだよ。邪魔な奴らを片付ける良い機会じゃないか?貴方もたまには良い仕事をしてくれる」 それを聞いた松原は歯を食いしばり、拳を固める。私利私欲のために、人を陥れようとしている目の前の男に腹が立って仕方が無かった。
「私を殴れば、今度こそ法度破りでお陀仏だな」
「やかましい!ワシは今更命なんて惜しいと思っとらへんのや!」
松原の言葉を聞くなり、武田は笑う。
「貴方はそうでも、鈴木はどうかな。私は局長からの信頼も厚い。そのような私が助言を入れれば、松原と連座で腹を詰めさせるのも容易いものだよ」
愉しげな武田とは正反対に、松原は腹の痛みすら忘れ、傷による熱と怒りで顔が真っ赤になっていた。この拳を振り上げてしまえば、武田の思う壷だと分かっているからこそ、何も出来ない。悔しさで涙が出そうになった。
「ワシが……ッ、ワシが何をしたっちゅうんや。何で目の敵にするんや……」
「貴方を見ていると、腹が立つ。大した功も上げていない癖に、人柄という不確かなものだけで慕われている。実に忌々しい」
その吐き捨てられた言葉に松原は視線を落とす。武田に嫌われていることは分かったが、元々策士だった彼がただで胸の内を明かすとは思えなかったのだ。
武田は立ち上がると、廊下へ続く障子に手を掛ける。そして立ち止まると、不敵な笑みを浮かべて振り向いた。
「ああ……そう言えば、サエとかいう女は存外良い女だった。でもやはり女は駄目だ、一度抱けば飽きる」
その言葉に、松原は固まる。みるみる目は見開かれ、唇はわなわなと震えだした。脳裏には、慈しむような笑みを浮かべるサエの姿や、声が浮かぶ。
「おサエはんに……手ェ出したんか……?」
何とか絞り出した言葉は怒りに揺れている。それを見た武田は面白そうに、挑発をするように笑った。
松原は弾かれるように立ち上がると、武田に掴み掛かる。袷を持ち、壁に勢いよく押し付けた。
だが武田は一切臆することなく、嘲笑い続ける。
「良い目をしていたなァ。まあ、今頃は浪士達の慰み者になっていることだろう。私には関係の無い事だがな」
「武田ァ、あんたァッ!!!」
松原は拳を握り、力いっぱい振り上げるとそのまま武田の頬を
返事をするように、腹の虫がグウと小さく鳴った。黙っていれば喧騒に紛れて分からないが、桜司郎は顔を赤くして腹を抑える。
それを見た土方は笑みを深くした。そして香りの大元である"江戸前大蒲焼"と書かれた鰻屋の暖簾を潜る。
「鰻だ。私大好きです!」
「そうか。俺もだよ。https://www.easycorp.com.hk/en/offshore 江戸の鰻は京とは違うからなァ。やはり江戸の味が一番だぜ」
京は鰻を腹開きにするが、対して江戸は背開きにしていた。これは江戸が将軍のお膝元であり、武士の街であるため腹開きだと切腹を連想させ縁起が悪いと云った理由からである。
また、味付けも江戸と京では大いに異なっていた。京の人々は薄味を好むが、江戸は濃い味付けが多いという。
濃口醤油の匂いと共に二人の前に鰻飯が運ばれてきた。早速、一口食べればたちまち桜司郎は笑顔になる。
「美味しいッ!副長、これ美味しいです」
ほくほくと程よく焼かれ、ふわっとした身が口の中で解れていった。そこに濃いタレが絶妙に絡み、空っぽだった胃に次々と染み込ませていく。
武士の威厳もへったくれも無いと言わんばかりに、破顔しながら食べる桜司郎を土方は微笑ましげに見ていた。
──こういった屈託の無さは総司の弟分って感じだな。みっともねえと注意する気も失せちまう。 食事を終えると、土産を見るためにあちこちの店を転々とした。沖田には金平糖、山野と松原には粋な柄の手拭いを買い求める。最後に馬越には綺麗な物をあげようと、小間物屋へ立ち寄った。
店が店なだけに町娘が多くいる。気後れする気持ちが無い訳では無いが、江戸で一番人気の店と聞いて足を踏み入れた。
「何だ、好い仲の女でもいるのか」
土方は含み笑いをしながら、横に立つ。馬越の趣味は になっていない為、彼にあげるとは言えなかった。その瞬間、暫く会えていない花や藤、まさの顔が浮かぶ。
「ちが、違います。いつも世話になっている人にあげようと……。私を助けてくれたお婆さんとか、おまささんとか……」
ふうん、と口角を上げると土方は腕を組みながら、並ぶ小物を横目で見た。そして手を伸ばすと、桜があしらわれた簪を手に取った。
その脳裏には先日の部屋で見た艶やかな桜司郎の濡れた黒髪と、女のような色香が浮かぶ。
「江戸の職人の腕前は見事なもんだ。京とは違う趣きがあるな。これなんてどうだ……」
ぼんやりとそう言いながら、桜司郎の髪にそっとそれを差し込む。
すると、近くにいた町娘達の視線が一斉に集まった。凛々しい顔の整った侍が、女顔の侍の髪に簪を差しているのだ。衆道の関係なのかと勘繰られてもおかしくはないだろう。
「ふ、副長ッ。何故私に……!?」
顔を赤くしながら抗議すれば、土方は我に返ったように珍しく えた。桜司郎の頭から簪を回収し、元の位置に戻す。
「い、いや……。済まねえ、俺とした事が……。ちょっくら外に出ているからよ、お前一人で見ろ」
そう言うと、足早に土方は店から出て行った。周りからは とでも思われたのだろうか、好奇の視線が刺さる。
──副長。恨みますよ……!
そのように悪態を心の中で吐きながら、桜司郎は何とか買い物を済ませた。
外に出ると、店の前で土方が待っている。何処か憂いを帯びたような表情に、道行く女が熱い視線を向けていた。
本当にモテるんだ、と思いつつ桜司郎は土方に声を掛ける。そして再び歩き出した。